今回のトピックス |
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大名跡である柳家小さんの2代目は、延岡藩武士出身であった。 幕末時に、武士を捨て、落語家へ転身したのであった。時代の変化を感じ取ったのかもしれない。 二代目小さんについては、資料が少ないことも有り、出典の不明確な話しかなかったが、今回のレポートで、 確かな資料に基づく二代目小さん像が少しは明確にできたのではないでしょうか。 (2013.11.1) |
明治12年 | 柳亭燕寿と改名して、東京の寄席に復帰している。 | |
明治16年1月 | 1883年 | 2代目-柳家小さんを名乗った。初代小さんが、師匠の燕枝と兄弟弟子だったことから、2代目への指名となった。 |
明治21年3月 | 1888年 | 禽語楼小さん を名乗る。 顔がチンクシャで「珍面美人愛嬌の徳」などと新聞に書かれている。 その声は、高調子で能弁であったために、贔屓の医学博士・松本順に「禽語楼」の号を贈られたのを期に、 3月に弟子の初代柳家小三治に3代目小さんの名を譲り、両国中村楼で改名披露を行う。 禽語とは鳥の鳴き声の事で、小さん自身が鳥の仕草が上手かった事からこの号が与えられた。 他にも猫というあだ名もつけられた。 |
明治28年3月 | 1895年 | 初代-柳家禽語楼と改名したが、この頃から人気も下火となる |
明治31年7月 | 1898年 | 50歳で他界 |
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