今回のトピックス |
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とりあえずペリーは去ったが、これからも外国の開国要求は続くだろう。 国内を引き締める必要がある。 幕府は、将軍主催の大名による乗馬技術を見る会を突如、催す。 (2021.8.3) |
今回の舞台の安政2年というのは、ペリー来航(嘉永6年)、再来航(安政元年)で、日米和親条約を結んで、世の中がざわつき始める年である。
この安政2年時(1855)の将軍は、第13代の家定(1853−1858:嘉永6−安政5)である。
この将軍は、ちょうど、黒船来航から、日米和親条約、日米修好通商条約締結問題、安政の大獄までの、時代が大きく変化し始めた時の将軍である。
歴代将軍の中でも、最も、能力が危うい将軍であったのは、徳川家の最大の不幸であった。
この時代(安政2年)の、権力者は、阿部正弘(福山藩主)である。
後に、堀田正睦をへて、井伊直弼が登場するが、今は、まだ出てきていない。
ペリー来航後、海防が必要となってきたとき、登場するのが、水戸藩主の烈公こと徳川斉昭で、彼の尊王攘夷の考えは、維新に突き進むときの最初の原動力となっていく。
そして、水戸藩の不幸も始まるのである。
当レポートでは、今後、烈公の話題を入れて、これからの尊王攘夷の雰囲気の盛り上がりを見ていきたい。
江戸城前の地図。 内桜田門の前にも番所が見える |
内桜田門内の番所 | 寺沢の二重櫓(ヤグラ)と内桜田門と渡り櫓 |
1)明治大学所蔵の延岡藩資料:万覚帳=安政2年=1-7-143
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