第71話:御朱印(2):御朱印改めの当日の儀式 

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        藩の存亡に関わる重要であるが報告例の少ない御朱印改めの儀式の詳細


今回のトピックス


    数十年に一度の御朱印改めの儀式はほとんどの当事者にとって、初めてのことで緊張する。
    失敗は許されない。藩主に変わって江戸家老が勤め、留守居が活躍する。

    御朱印改めの儀式は、今までほとんど紹介されていないので、今回の報告は貴重である。

                                         (2019.12.1)


【1】 序=:今までの経緯

徳川の将軍の代替わりがあるたびに、日本中の大名に対し、各人の知行を安安堵(保証)する証明書として、御朱印状を発行した。
安政5年(1858)年に、14代将軍:家茂が将軍についている。延岡藩に限らず、知行安堵の御朱印が下るのが近いことは予想し、
その準備は怠りなくしていたことであろう。

ここで、阻喪があると、知行召し換えにもなりかねないから、江戸屋敷では最大の配慮をしていたはずである。
安政6年(1959年)11月1日に、寺社奉行の松平右京丞(高崎藩主:松平輝聴)と老中の松平対馬守(陸奥磐城平藩の第5代藩主:
安藤 信正)の連名で、延岡藩の留守居役の成瀬老之進宛てに、翌11月2日の五時(現在の朝8時)に、
一人、松平右京丞の藩邸に罷り出る様にという内容の召喚状が届いた。

成瀬老之進が、約束の時間に赴くと、翌11月3日の6半時(現在の朝7時)に、右近将監殿(内藤家藩主の事)が所持の御朱印と、
その写し右京丞宅へ、使者を以て差し出す様に、そして、その時、御領知目録とその写し、さらに、郷村帳も出来ているだろうから、
それも持参する様にというものであった。

御朱印改めは幕府による公的な仕事と思われるが、その儀式の会場が、寺社奉行の松平右京丞の私宅というのは不思議である。

差出人は、松平対馬守、松平右京丞の連名で、あて先は、内藤右近将監殿と 留守居殿となっている。
延岡藩の藩主は、在所(延岡)にいるので、藩主の代わりに江戸藩邸家老の大嶋味膳が勤める。
そして、明日のために、最大の大名行列の準備をしなければならない。

藩邸の人員だけでは不足なので、どこの藩でもやっているように、人や道具を借りだして、外見だけ整える準備をする。
そして、肝心の御朱印状、御領知目録、写し、郷村帳などを確認し、新規の箱に入れ、紐で結わえ、服紗で包み、臺に載せ、
また、御朱印の写も十通、御代々の順に重ね、上下、二ヶ所、紙にて結っている。

御目録は、(月日を認め入れ改め済である)、紐にはさみ服紗に包み、酒塗(?)の御長持ちに右2箱、並びに、据台共に、入れて、
勝五郎が錠を卸ろす。御用番の平兵衛と勝五郎が2人の印を打つ(合対印)して、絹紐をかけて、延岡藩の御広間に厳重に保管し、明日に備える。

【2】御朱印改めの当日の11月3日

1)延岡藩邸をでるまで

松平右京丞宅は、日比谷門内大名小路の現在の「新有楽町ビル」にあった。
延岡藩の藩邸は、現在の虎ノ門の文部省の位置にあったから、移動距離は、大したものではない。普通に歩けば、数十分の距離である。

まず、家老(大嶋味膳)、留守居役(成瀬老之進)、平兵衛、神山勝五郎たちが、藩邸の広間に七時(現在の朝4時)に集まる。
御朱印の入っている長持ちの対合印を切り、錠を明け、確認後、味膳が封印した。
行列のメンバーが揃うのを待ち、勝五郎が御広間に、揃った旨を告げる。

勝五郎が、玄関の下座について、送り出す。番士は、式臺から降りて土下座する。御朱印の入った長持を敷石の上に差し出し、担ぎ手に渡し、
御使者番の代理 (行列の責任者) を務める金沢此面に引き渡す。行列が、延岡藩邸を出発する。御門番も土下座して見送る。

この行列の後を少し間をあけて、家老が行く。

その場面を示す文書を示す。



概訳を示す。

   「 今日、松平右京丞様のお宅において、御朱印の改めに付き、今暁七時(朝4時)に御用席を始め、御留守居や大目付が、
     出席して、御広間に、味膳(家老)、月番、平兵衛、成瀬老之進(留守居)、神山勝五郎が、参加して、昨日、平兵衛と勝五郎が、
     2つの印鑑で封した(対印)錠をかけておいた。

     今日、差出す御朱印の入った御長持ちを、勝五郎が、対印を切り、錠を明け、途中は、錠前をして、
     味膳が封印するに付き、同人が封印し置いた。
     御用部屋に控え居り、程なく、御朱印の御行列が、揃ったので、御用席、並びに、勝五郎が、大広間にやってきて、

     御内玄関の下座の薄縁に出られ、御取次が薄縁をはずし、御番士は、御式台から下に居り、
     御朱印の入った御長持を敷石上に置き、(御据敷に差し出す)、寔番舁を

     同所にて、御使番代である金沢此面が、請取った。
     表御門開の番人は、下座している。

     御朱印を差し出すための御行列は、左の通り。
     但し、当時、御広間 並び、表御門、表御長屋向きが御修復中なので、表御門を通用することになったので、
     同所より、御繰り出しとなった。 


行列は、およそ、下の左図のようなものであったろう。
また、武鑑から、延岡藩の大名行列の特徴部分を示す。

 
当日の延岡藩の行列             延岡藩の大名行列の特徴

2)松平右京丞宅に到着して

右京丞宅に到着する。まず、老之進が門に挨拶に向かうが、門は明いていないので、門前で並んで待つ。暫くして門が開く。
各藩の到着の順に門を入る。一同は、使者の間に通される。延岡藩の使者(家老)もそこで待つ。
老之進が、右京丞宅のお取次ぎに面会して、昨日の達しの通り、使者(味膳)が御朱印を持参したことを告げる。

暫くして、延岡藩の御朱印の差出す順番が来たと取次からの合図があり、
老之進が玄関に行って、御朱印の入った長持から、取り出し、
長持ちは門前に置いたままにして、老之進と此面が玄関を上がり、使者の間にいる味膳の所へ行き、
味膳の前に御朱印や写しなどを服紗のまま置く。

各藩の使者が列席している。
そこで、右京丞の係役人が、御朱印等を持っていき、確認し、再度、新たな御朱印を重ねて引き渡された。
各藩の使者は、順次、案内の声で中に呼び込まれていく。

延岡藩も、老之進が、御朱印、写し、御目録などを、箱の上に載せ受け取り、それを味膳に渡している。
味膳も呼び出される。其の時、味膳と老之進は、脇差を外している。

その緊張あるシーンと、しきたりの詳しい様子が記された貴重な資料である。それを示す。



概訳を示す。

   「 暫く跡(後のこと)より、大嶋味膳(熨斗同麻の裃を着用)が続く。
     右京丞様の御門前に、到着した。老之進(熨斗同裃)が、お先に、御門前に参ったところ、
     いまだに、御門が明かないでの、御門前に、御並び、各藩一同も御門の明きを待っていた。

     ほど無く、御門が明いたので、到着の御順に、御繰り入れをした。味膳と老之進は、一同、
     御広間に伺上げられ、お使者の間に、通された。

     (右京丞側の)御取次に、面会し、昨日の御達の通りに、御朱印を持参したこと、
     使者に同道してきたことを、老之進が申し達したところ、

     直に、御朱印を御上げ成ります様にと、御取次が申したので、老之進は御玄関に罷り出て、
     (その時、味膳は御使者の間に居た)、御朱印の入った御長持を、下座の薄縁の前の臺に載せ置き、
     老之進が、対印を切る時、此面がくくりを解き、老之進は御玄関に上る。

     品の出された御長持は御門前に、出し置いたまま。
     御朱印、御領知、御目録の御本紙入りの箱を、台に載せ、老之進が持ち、御写入りの箱は此面が持って、
     老之進が、一同のいる御使者の間に行くように御案内があった。別の席に、味膳一同が、出席している。

     御本書入の箱を、台に載せ、味膳の前に置いた。御写し入りの箱は、服紗を取るまで、老之進の前に置いていた。
     此面も一同列席に出席した。此面は、間もなく、右京丞様の係の御役人を捉え、
     (右京丞側の)弥右衛門が、やってきて、老之進が面会し、
     後刻(後々)の取り計らいや各札等について、お頼みした。

     御写しを請け取るべき旨を、弥右衛門から、聞いたので、手元の目録に引き合わせた。
     その通り、取り出し、改め(確認をし)、箱共を服紗に包み、右同人に老之進が、渡した。味膳にも、
     弥右衛門に老之進が、引き合わせ、味膳が御口上を申しあげた。

     なおまた、後刻の取り計らいを頼み、御改めの御席と人に習い、礼をいたした。
     その段、追々、御出席の御役人御方が、御揃いに付き、五時(朝8時)より、順々に、立っていく。
     御役は初めてのことで、老之進に、相詰める様に、御取次が言ってきた。

     側立際に罷り出て、御朱印を取出し、箱の蓋に載せた。
     御領知御目録も取り出した。侍り居るところより罷り出るようにと、三右衛門が言って来たので、
     御朱印を蓋の上に載せたまま、味膳に渡した。
 」

そして、愈々、延岡藩が呼び出されるのである。

3)儀式が始まる

そして、いよいよ、延岡藩が呼び出された。二人は、脇差(短刀)をはずして臨むのである。



概訳を示す。

   「 御領知御目録の下に、手を持ち添えて、味膳が、罷り出た。
     此面と老之進が、差添えて、御側立際にて、両人、脇差を取りはずした。

     味膳一同、御席のうちに、手を載せた時、
     内藤右近将監様の御使者=大嶋味膳殿、案内=成瀬老之進殿という披露があったので、
     御朱印を持ちながら、お礼を申し上げ、老之進は平伏していた。

     松平対馬守様(この方様掛かり)の御前に味膳が 罷り出て、御朱印を台に載せたまま、対馬守様の御前に出た。
     御文臺の上に上げ、御領知御目録も、御文台に上げ、退き申した。

     御挟み合いの中、両人ども、御次の間の御側立際よく、脇差しを帯びて控えていた。
     程なく、罷り出るようにとのことで、案内があった。先刻の通り、味膳と老之進が、罷り出て、
     御敷居際にて、両人が脇差を取って、罷り出たところ、対馬守様が
     これへと、仰せられたので、味膳は、対馬守様の御文台際まで罷り出たところ、

     御朱印の御改めは、間違いなく済んだので、
     御達書が出て、(御朱印状等を)戻す旨を、対馬守様が、御置きになって、おっしゃった。

     御朱印が十通,前々の通り、臺に載せ、御渡しになった。
     御前を退くとき、御側立際にて、脇差が無いまま、直に元の席に退去した。



   1.右、済ませて、御側立際にて、御朱印が十通、銘々、味膳と老之進が、両人よく、
     相役の老之進が、箱に入れ服紗に包み、蓋に載せ味膳の脇に、置いた。

     この時、三右衛門がやってきて、御朱印の御改めは、相違なく、済みましたので、
     御本書を、御戻しになりますので、勝手次第に、御在所(藩主のもと)に、連絡をしてもかまわない。

     御領知御目録については、御吟味をするので、追々、お戻しに成るだろう。この段、申し達すようにと、
     対馬守様と右京丞が、申しつけましたことを、味膳に、申し達すようにとのことであった。

     尤も、先刻の御口上の御返しの節も、この事は聞いていた。
     老之進が、三右衛門に(聞いたところ)、御領知御目録や御本書が戻されることになる日限の本当のところは、
     いまだに、六日頃に御戻しできると思うけども、何れ何分にも、御沙汰が成るべきところだという。

     その後、勝手次第に引き取り下さいと、三右衛門から、挨拶があったので、
     此面に老之進が、申しつけて、先に、御玄関に行って、御長持を入れたまま待つようにと。

     味膳と老之進が御本書箱を、台に載せ持ち、御玄関に行って、下座薄縁の前にて、御長持を台に据え、
     蓋を明け、御本書箱の臺や服紗どもを、老之進が入れた。

     味膳が、兼ねてより、用意して懐中に入れてあった印形で対印をして、
     此面が警固を仕り、今朝の通り、御行列にて帰った。味膳は、少し引き下がり後を歩いた。

     老之進一同が、(先に)帰られ、この節、いずれの使番も、御屋敷にすんだことを、仰せ進み、まず、是を先にした。
     御朱印が、この方(延岡藩邸)の御玄関に入った時も、今朝の通り、御用席を、始め、何れの者も、御出迎えをした。

     御朱印の御長持を御用部屋に、差し出して、味膳が帰って来られ、着座の上、御長持の対印を、
     勝五郎が、切って、味膳に、渡した。

     老之進が、御朱印箱を取り出し中を開き、証の通りに、改めて、以前の通りに、上包みし、合紙などして、箱に入れ、
     服紗に包み、御朱印を、御長持に入れ、錠をおろし、月番の平衛門と勝五郎が、合封印をして、御取次の御書士に、渡した。

     尤も、九時(夜中12時)までに何れの人も家に帰った。 


当事者である、家老の味膳、留守居の老之進、そして、今回の行事役の金沢此面の面々は、
さぞ、緊張の連続で疲れたことであろう。

【3】 資料

(1) 内藤家資料:明治大所蔵:安政6年万覚書=1-7-147
  (2) 大成武鑑:延岡藩
  

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