今回のトピックス |
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延岡藩の6代藩主-政順の容態が悪くなって、急に養子を決め井伊家14男-直弼と15-男直恭(幼名 銓之助)を天秤に載せて、 いずれが次期延岡藩主にふさわしいかの面接をしたのである。そして、直弼は落選してしまった。 ところが、直弼は、その後、彦根藩井伊家の藩主が転がり込んできて、井伊家であるがゆえに大老にまでなってしまったのである。 延岡藩主にもなれなかった男が、大老という、幕府のトップに立ったのである。 それとも、延岡藩に見る目が無かったのか? 延岡藩では、急いで、養子を決める必要があった。検討する前から、延岡では、弟の方に決めていたのである。 延岡藩の資料から初めて分かった新事実である。 (2013.10.8) |
図2> 資料1:「急養子奉願覚」(天保5年8月) |
図3> 資料2:「掃部頭様内内相談」(天保5年3月) |
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