今回のトピックス |
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安政の大獄の最中に江戸城本丸が焼失した。将軍は西の丸へ退散した。 延岡藩の屋敷の近くの大名屋敷から火が出た。 延岡藩の対応はいかに。江戸城の防火体制と火消し組織も紹介する。 (2019.7.28) |
政治的にもそして、天変地異においても激動の時代になった安政時代の、安政の大獄の真っただ中の時代である安政6年10月17日に、江戸城本丸が全焼した。
江戸城内で火事が起きた場合、誰が消火活動にあたるのか、大名たちが支援に来るのか、そして、我が延岡藩はどのように対処したのか、
などに興味を持って、今回の報告とする。
丁度、この頃、延岡藩の下屋敷の有る麻布にある別の大名屋敷から出火するという事件がおきている。
この時、延岡藩の消防組織だけでなく、縁戚の大名家からの救援の消防組織が来ている。
この時は、延岡藩の下屋敷への延焼はなかったが、そこでの、救援隊へのお礼の儀式も面白い。
今回の資料には、井伊直弼掃部頭がよく登場するが、彼は、この4か月ちょっと後に、桜田門外の変で暗殺される。
1) 延岡藩資料(明治大所蔵):万覚帳(安政6年):1-7-147
2) 山本純美著:“江戸の火事と火消し”(河出書房:1993年刊)
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