今回のトピックス |
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いよいよ、江戸幕府が終焉を迎えるための大きな動きが起きる慶應3年がはじまる。 延岡藩の持ち場で町人の溺死があった。一見小さな事件にみえるが、幕府まで巻き込んでの大騒ぎになる。 江戸幕府体制の中では、町人がらみでも事件処理は意外に面倒である。 今回の事件は、格好の例となる。 (2016.7.26) |
本舞台の慶應3年は、翌年慶應4年が、明治元年となる年であるから、事実上の江戸時代最後の年である。
前年、第2次長州征伐が、外見上は、将軍家茂の急逝で、停戦という形をとったが、徳川政権の事実上の敗北であった。
しかも、最後の将軍、慶喜は、江戸城には現れず、京都に滞在のまま、会津藩、桑名藩と京都政権を作っている。
徳川政権の瓦解の年を、月を追って、時代の変遷を味わっていこうという趣旨のシリーズである。
今回は、延岡藩の虎ノ門にある上屋敷前の堀に、町人の死体が見つかったという騒動である。
歴史の変動には、まったく関係のない小さな出来事であるが、まだ時代が激動するという実感のない江戸藩邸では、
大きな事件である。徳川時代では、1町人の溺死も、大変面倒な事件なのである。意外な事実をしることになる。
図1)現在の虎ノ門付近 | 図2)幕末の虎ノ門付近地図 |
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