今回のトピックス |
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江戸では火事が多かったので、相互扶助の仕組みが発達していた。 幕末は治安も悪く、火事も特に多かった。慶応2年末にも延岡藩邸の周りでも火事が頻発している。 そこでは、各大名家は、お手伝いに人手をだし、また独特の火事見舞いがあった。 出入りの町人も、真っ先に駆けつけるのが信義である。 (2016.5.18) |
よく落語の枕で江戸らしい風物を紹介するのに使われる有名なせりふに、
「江戸の名物は、武士 鰹 大名小路 広小路 茶店 紫 火消 錦絵 火事に喧嘩に中っ腹 伊勢谷 稲荷に犬のくそ」といわれる。
中でも、人口密度が高いことから江戸の火事は、有名である。研究によると、どの程度までの火事を含むのかは不明であるが、
江戸時代267年間で、1798回の火事があったという。中でも、幕末の嘉永3年(1851年)から慶応3年(1867年)までの17年間では、506回の火事が起きているという。
幕末は、幕府の権威が低下とともに、江戸を不安にするための政治的な火付けもあり、幕末時に火事が多く発生して、江戸市民は不安な時期を過ごしていたであろう。
江戸では、どこかで、火事が起きると、大火になる可能性もあり、特に神経質になって、火事については、町民世界、武士世界でも相互扶助の意識が高くなっており、
どこかで、火事があると、いの一番に駆けつけることが信義の根拠となっていた。
落語の「富久」で、大店「田丸屋」をしくじっていた幇間の久蔵が、火事を知らせる半鐘の音で、火元が田丸屋の近くの芝金杉町と見当をつけ、
いの一番に田丸屋に駆けつけたが、幸い田丸屋は無事で、火はおさまった。火事見舞いに駆けつけてきた久蔵をみて、
旦那は許してくれたという話である。その後に、落語らしい話があるのだが、それは省略する。
とにかく、江戸時代は、火事と聞いたら、誰よりも早く駆けつけ、手伝いをし、かつ、火事見舞いが最大の信義の見せどころなのである。
それは、武家社会でも同様である。慶応2年10月〜12月の延岡藩江戸藩邸の周りで、火事が起きており、その対応にその時代の必死の忠誠な行動がみえる。
それほど、火事は、頻繁に起きている重大な事件なのである。
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