今回のトピックス |
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桂小五郎は、明治維新における長州藩の最高の志士である。西郷隆盛、大久保利通と一緒に維新の3傑と呼ばれた。 ところが、明治10年に病死している。一方、西郷隆盛は西南の役、大久保は暗殺という非業の死を遂げたため、 最後の印象の差で、今一つ印象の弱さがあるが、維新に示した存在感は、西郷、大久保に決して引けを取らない。 西郷の人間的魅力と、大久保の事務処理能力の両方を備えた人物なのである。 そのような印象を延岡藩に残る桂小五郎のうわさからご紹介したい。 (2014.8.24) |
西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎(=木戸孝允を維新3傑という。確かに、幕末に現れた英雄の中でも、この3人は抜きんでている。
彼らがいなければ日本の近代史はどうなっていたかと思うほどである。その中で、桂小五郎は、今となっては影が薄いような気がする。
それは、他の2人が非業の死を遂げたことと無縁ではあるまい。長州藩と薩摩藩から、4人ではなく3人というのが、私には、桂小五郎の人となりを表しているような気がする。つまり、人を率いるという人間的魅力で、西郷隆盛に匹敵し、行政能力という意味で、大久保利通に匹敵する。
つまり桂小五郎は、他の2人に対して、1人で匹敵するほどの魅力と能力のある人物なのである。
延岡藩の資料に桂小五郎に関する記述を見つけたので、今回紹介したい。
延岡藩という、長州藩から見て、対抗勢力側から見た桂小五郎という人物評が出ているのである。敵陣にも、長州藩に桂小五郎ありと名をとどろかせていたことがわかる。
木戸孝允は、明治10年5月に脳溢血が原因で死去し(享年44歳)、同年9月に、西郷隆盛が、西南の役で無念の自害をし(享年49歳)、
大久保利通は、翌年(明治11年)5月に暗殺されている(享年47歳)。
この逸材3人は、ほとんど、同じ年に亡くなったのである。この3人に共通するのは、自分に厳しい人で私利私欲の人でなかったことだ。
この人たちが、もっと長生きしていれば、この国はもう少しましな国になったのではないか。
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