今回のトピックス |
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延岡藩に限らず江戸藩邸では、幕府との接点であり、他藩との姻戚関係を結ぶ上でも、重要な拠点であります。 一方、江戸藩邸の維持費は各藩に重くのしかかっているのも事実でした。延岡藩の場合、藩主の奥方、前藩主、 前々藩主の奥方などうるさ型が多く、留守居役をはじめ苦心しています。 これから、シリーズとして、江戸藩邸日誌を読みながら、いろいろなしきたり等を紹介していこうと思います。 最初のシリーズは、藩主の江戸城登城に関するものを紹介します。 その第一作は、江戸城自体について紹介します。藩主の登城の本丸玄関に達するまでを紹介します。 (2014.7.2) |
図4)明治初年の大手門ー高麗門 | 図5)現在の大手門 | 図6)大手門の櫓門(やぐらもん)を内側から見た写真 |
図8)三の丸から見た大手三の門と下乗橋 二の丸大手門ともいう(明治初年写) | 図9)現在の大手三の門の高麗門側の石垣。下乗馬橋と堀は、埋め立てられて今はない。 | 図10)大手三門の櫓門を抜ける前の、枡の内側から櫓門(の石垣)を見た現代の写真。石垣の素晴らしさに驚く。 |
図11)中の門(明治初めの写真) | 図12)現在の中の門:石組みが素晴らしく美しい | 図13)百人番所(現在の写真):多くの警護の侍が詰めていた。 中の門の前にある |
図14)中の門を抜けると左折し、右に見える石垣を迂回する様に進む。 | 図15)右折しながら坂を上る | 図16)中雀門(の石垣)を江戸城屋敷の玄関付近から見た様子 |
図17)明治初期の中雀門あたりの風景。 玄関側から見た光景(焼け落ちた跡)。 |
図18)中雀門:門を抜けると、正面に江戸城の玄関が見える |
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