今回のトピックス |
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明治元年から4年の廃藩置換までの間は、歴史書でも扱われることが少ない時代である。 政権が徳川幕府から朝廷へ変わったが、それ以外は、今までと余り変わらない。今後も変わらないと考えた藩も多かった。 延岡藩は、軍艦を米国から購入しているのである。この事実は、なかなか象徴的である。 今後も、維新前だけでなく、この時代を含めて資料を見ていく予定である。 (2014.1.31) 顕光丸の北海道巡航記録を追加した。(2014.4.24) |
備後守 所持之帆前船、此の度 品川 入港仕り候に付き、 御鑑札 船章 御渡し成り下され候様 仕り度、この段願い奉り候 以上 4月15日 内藤備後守 家来 成瀬老之進 |
西洋紀元 1858年製造、我が明治元年12月8日、於摂州神戸、米国人モースより買い入れ申し候 以上。 覚 帆前船 船号 原名チレイ 和名 顕光丸 木製 但、大砲2門 6斤鉄 ( 注>3.6kg) 加農 (注>カノン砲) 長さ 19間4尺 (注>35.75m) 幅 4間3尺3寸 (注>8.27m) 水入深さ 1間3尺9寸 (注>3m) 荷積高 4百頓 (注>400トン) 櫂 2本 |
巳年(明治2年)6月13日 御達は、左の通り 其の藩 顕光丸 御用有之候条、函館表江至急差し廻し候事 但、着船上 御用筋之儀は、軍監有地 志津馬江可承合候事 6月 軍務官 |
資料の表紙 | 添付資料1ページ目=船号シーホルンに関する部分 |
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