今回のトピックス |
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鳥羽伏見の戦では、延岡藩は、幕府側につきました。しかし、すぐに、九州各藩にとりなしを依頼し、家来、及び藩主自らも 弁解を行い、嫌疑は晴れ、官軍側として賊軍追討に加わりました。 ひとまず、会津藩の降伏により、延岡藩は国元へ帰れることになった。 そこで、官軍の証である錦章の拝領を願い出た。官軍である証が欲しかったのである。 (2014.1.9) |
図2)鳥羽伏見の戦で幕府側の嫌疑 |
図4)錦章の拝領願いと許可の返事 |
図5)鳥羽伏見の戦後の戊辰役に参戦した延岡藩士。右は、家老の大島味膳 |
図6)ベアトの撮った薩摩藩士 |
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